WFPチャリティー エッセイコンテスト2021

入賞作品発表

18歳以上部門賞

小学一年生の新常識
千葉県
岩村 侑紗さん

「しせいを ただしましょう。てを あわせてください。いただきます。」
「いただきます。」
「・・・。」
 今日も一年一組には、子供たちの元気な声が響く。小学校の教員になり、十二年目。可愛らしい「いただきます。」の挨拶を聞くのも十二年目。そして、『黙食』経験二年目。
 驚いたのは、今年四月のこと。小学校に入学して初めての給食の時間。「ごはん、よそうの はじめて~。」と、ブカブカの白衣と、顔の半分を覆うマスクの隙間から、にっこりのお目目。「ほらほら、前見て。」「おぼんはまっすぐ持ってね。」と、ヒヤヒヤしながら、やっとの思いで配膳が終わると、
「いただきます。」
「・・・。」
ーおや。静かではないか。そう、わずか六才の彼らにとって「食事中は一言も喋らない」ということは、常識なのだ。ご家族や幼稚園、保育園の先生方に感謝したと同時に、もの悲しさを感じた。そうか、彼らは「おいしいよね。」と味の感想を伝え合ったり、「見て~。」とジャムで描いた食パンアートを見せ合ったり、オレンジの皮を口に入れて「ゴリラ~。」とふざけたり、そしてそれを「こら、食べ物で遊びませんよ。」なんて注意されたり・・・。そんな、ちょっと笑える給食の時間を知らないまま成長するのか。
 『黙食』が当然の学校給食。寂しいだけかと思いきや、意外にも彼らにとっては楽しい時間のようだ。初めて見る食材やメニューに目がキラキラと輝く。しっかりと味わい、時には、「おいしいね。」と目で語りかけてくる。これは『黙食』というよりも、目で楽しむ『もく食』と呼べるのではないか。机が離れていても、まっすぐ前を向いていても、一言も喋らなくても。そこに同じ給食があり、同じ時間に、大好きな友達と、同じ空間で一緒に食べられることが幸せなのだ。
 いつの日か、この子供たちが、机を向かい合わせ、ケラケラと笑い合いながら食べる日を夢見ながら、今日もクラスみんなで「もく食」を楽しんでいる。

  • 【選者のコメント】
    三國 清三さん(国連WFP協会顧問 オテル・ドゥ・ミクニ オーナーシェフ)
     僕はよく大学生の講演をするが、皆、僕を一度も見ず、一心不乱に書きとる。僕は最初驚いた。なぜなら20歳から8年間過ごしたヨーロッパでは、皆、僕の目を見て真剣に話を聞く。一方、日本では、質問などせず、ひたすら書くことに集中する。その文は完璧だ。国や文化が違うとこうも違うものか。ヨーロッパでは、必ず相手の顔と目を見て議論をし、お互いを理解する。この作品を読んで、そうか日本人はこんな小さな時から話し合わなくても、相手の事を理解する感性が生まれているんだと、ほとほと感心した。日本人恐るべし。
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