WFPエッセイコンテスト2012 入賞作品

審査員特別賞(18歳以上部門) 「三人で食べようよ」
茨城県 加藤 望(かとう のぞむ)さん
 歯医者さんの待合室で週刊誌のページをめくった。突然、目の中にアフリカ難民キャンプの写真が飛び込んできた。 母親に抱かれた幼児の顔にハエが、たかっている。大きな目には涙があふれている。細い手足が痛々しい。ふっと浜口君のことが脳裏に浮かんできた。

 今から六十年も前、私が中学一年生の時、隣の席に浜口君がいた。
今日では想像もできないほど日本全体が貧しかった。六人の子供を抱え、食べるものを得るために、母の着物が少なくなっていった。いわゆる「筍生活」である。母の大切な着物が、一枚一枚削がれるようにたんすからなくなり、日々の糧にかわっていった。

 隣の席の浜口君の弁当は、毎日、毎日、海藻だけだった。海に行けば、海藻は容易に手に入れることが出来た。喧嘩をすると、浜口君の血が止まらない。栄養の関係があったのだろう。浜口君の喧嘩は、いつしか私が買うようになっていった。放課後、浜口君と浜で過ごす時間が多くなっていた。ある日、小遣いを貯めて、菓子パンを一つ買って二人で食べた。「加藤君、こんなにおいしいものを食べたことがないよ」浜口君のその時の目の輝きを今でも忘れられない。

 私が高校一年生の時に、浜口君は結核でこの世を去った。葬儀から一週間がたっていた。母が用意してくれた封筒に入ったお香典を浜口君のお母さんに手渡した。「加藤君、亮司がね、二人で食べたパンがとても美味しかったと何時も言っていましたよ」私の手を離さない細いお母さんの手に涙が落ちた。

 アフリカの難民に僅かばかりの献金をした。コンビニでパンを一つ買い、天国の浜口君、写真で見たアフリカの幼児と一緒に砂浜に腰をおろし、三人でパンを美味しくいただいた。夕暮れの海は、涼しい風が吹いている。