WFPエッセイコンテスト2012 入賞作品

審査員特別賞(小学生部門) 「一枚の写真から」
山梨県 山梨市立日下部小学校 6年 小平 守莉(おだいら しゅり)さん
 「・・・・・・」一枚の写真を見た時、僕は言葉をすぐに発する事が出来なかった。ガリガリの細い手足を折り曲げ、荒地に少女がうずくまる。その後ろにはハゲタカが・・・。飢えて歩けなくなった少女、それは死を意味している。そして生きるために少女の死を待つハゲタカ、すべてが命をつなぐための「食べる」という行為がまねいた一枚だ。内戦などなく、少女の両親が健在だったなら、少女は飢える事などなく命をまっとうしただろう。命をつなぐ、それは食べられるという事と同じなのだ。

一方、日本はどうだろう?この夏僕はゴミについての実験をおこなった。僕の家では月に二十五キロもの生ゴミを捨てていたんだ。捨てられた生ゴミは焼却され、焼却灰は最終処分場で埋めたてられる。命をつなぐはずの食べ物で地球を汚していたんだ。僕とあの少女の命は同じはずなのに、僕は日本に生まれ両親に守られ何不自由なく、好きな物を好きなだけ食べ、いやになれば平気で食べ物を捨てていたんだ。命の糧であるはずの食べ物を。

 「この写真をとったカメラマンは、この写真の事で非難され、最後は自分の命をたってしまったんだよ。」母の言葉に僕は胸が苦しくなった。一番助けたかったのはこのカメラマンだったはずなのに、この写真には三つの命の叫びが映っているんだ。食べられず消える命、生きるために死を待つ命、その命を語りつぐ命。そう僕達は語りつがなくてはいけないんだ。「生きる事=食べられる事。」そして「食べられる事=平和。」だと言う事。

 「おっ、えらいね〜。今日は残さず食べられたね。」食の細い僕はご飯をあまり食べられない。でもこの写真を見てから僕は変わったんだ。「ジャラジャラジャラ」揺すると心地良い音が聞こえる。僕の「よく食べた貯金」が、少しでも命の糧になると信じて。